産地直送の弁

産地直送の作物をお届けいたします。
 御無沙汰しております。お元気でしょうか。私の方はおかげさまで何とか元気にしています。週に二回ほど地元の二箇所で希望者にボランティアの「スペイン語教室」などもやっていて、それなりに充実した毎日です。その教室の受講者のために、今まで書き散らしてきた雑文の中からいくつか選んで『スペイン文化入門』などという小冊子を作ったあたりから、にわかに本作りにハマってしまい、毎日暇を見つけては本を作っています。
 実はその『スペイン文化入門』の前に三十三歳の若さで旧満州の僻遠の地?平で病死した父の追悼文集を作ったのですが、その際、字を9ポイントに落として印刷すれば市販の本に似た体裁になることを発見しました。袋とじ印刷というのが気に食わないのですが、その後ページ数を入れる方法も見つけ、小部数なら必要に応じて必要な部数だけを印刷するのもいいかな、と思うようになりました。ただ印刷されたものを二つ折りにしたり、本体と表紙を貼り合わせるのがなかなか根気を必要として、真夜中に一人作業をしていると、何だか自分が『鶴の恩返し』の鶴になったような気持ちになってきます。
 それはともかく、今日までにできた作物は

『熱河に翔けた夢――佐々木稔追悼文集』(A5判、小型写真42葉、「大連・撫順紀行」、「ピカレスク自叙伝」併載、142ページ)
『スペイン文化入門』(B6判、150ページ)
『飛翔と沈潜――ウナムーノ論集成』(B6判、205ページ)
『すべてを生の相の下に――オルテガ論集成』(B6判、138ページ)
『島尾敏雄の周辺――佐々木孝文芸評論集成』(B6判、244ページ)
『大学の中で考えたこと』(B6判、140ページ)
『内側からビーベスを求めて』(B6判、132ページ)

富士貞房作品集として
『途上』(B6判、138ページ)
『切り通しの向こう側』(B6判、200ページ)

 そして現在製作中のものは、ウナムーノ論、オルテガ論以外のスペイン思想論を集めた『スペイン精神史の森の中で』と、それこそ雑多な文章を集めた『梨の礫』、さらには「人間学紀要」に書いたものなどを集めた『新しい人間学の地平(仮題)』、初期雑文を集めた『宗教と文学』などです。
 こうやって古い文章を整理していると、過去のすべてをともかく本にしなければ新しい文章を書きたくないという一種強迫観念じみた想念に囚われてしまい、こうなりゃ最後までやらなきゃと思っています。さて本日献呈させていただくのはそのうちの一冊ですが、もし他のものも読んでみたいと思われたなら、どうぞご連絡下さい。ちょっと時間がかかるかも知れませんが、喜んでお送りいたします。万が一実費(製作費)を教えてもらった方が頼みやすいという方にはインク代としてページ数最大のものを千円、下限を500円見当でカンパしてください。しかし要は読んでいただけることが最大の喜びなので、いまのことを無視なさっても、本当に一向に差し支え(?)ありません。
 それでは本日はこの辺で失礼致します。よい季節になってきました。今晩、川口に嫁いでいる娘が二人目の男の子を出産するそうで、今日のスペイン語教室(原町校は二十七名と大盛況です)は気もそぞろかも知れません。

 お元気で!

           五月十八日

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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