ペソア三昧

ここ数日、リスボンの町が、いやもっと正確に言うとそこにかつて生きた不世出の詩人フェルナンド・ペソアにまつわるさまざまなことが、物が、私を浸している。
 きっかけは、先日届いた『青銅時代』第49号である。そこの「ミソポゴン」(ちなみにギリシャ語で「髭嫌い」の意味で、自分の髭を嘲ったアンティオキア住民へのローマ皇帝ユリアヌスの反論の書の題名)というコラムにA・マチャードとペソアについて書いたこと、つまり彼の「異名者」が前から気になっていたからである。
 ところが編集長の平沼氏がそれに興味を持ち、49号の埋め草に6編ほどのペソア(あるいは異名者のカエイロやカンポス)の詩を載せてくれた。いずれも池上岑夫訳『ポルトガルの海』からのものだが、さすが目利きの選択、なかなかいい詩群である。こうなるとペソアを改めて読まざるを得なくなった。「改めて」と言ったが、白状すると彼の作品(いずれもアンヘル・クレスポによるスペイン語訳)は今までほとんど読まずに積んどいたものだ。
 まず主著とも言うべき『不安の書』を読み始めたのだが、霧の中に迷いこんだようで今ひとつ理解が届かない。それで翻訳はないか、とインターネットで調べてみた。なんと全訳が出ていた。高橋都彦訳で650ページの大冊である(2007年、新思索社)。よくも訳した、よくも出版したものだ。とうぜん値段も張るが、新本同様の古書が定価の半額で手に入った。
 しかし日本語で読んでも、その難解さが減じたわけではない。「この印象記で、わたしは事実のない自伝を、生活感のない身の上話を淡々と語る。これは告白録なのだが、もしそこで何も言っていないなら、それは何も言うことがないからだ」。この調子で互いに脈絡のない長短さまざまな文章が延々と続いていく。それも、事務員として働いていた貿易会社の便箋や行きつけのカフェの紙ナプキンやメモ用紙などに雑然と遺された遺稿を、編者がそれぞれ再構成したものだ。とうぜん邦訳とクレスポのスペイン語訳とは構成が違っている。未完と言ったらいいのか、いやより正確には不定形の「書」なのだ。
 だから読んでいくと、まるで行き先の知らない船に乗せられて大海原を行くような不思議な船酔いに襲われる。それは不安と謎に満ちた道行ではあるが、また同時に奇妙な酩酊感でもある。
 「アマゾン」という通販サイトはなかなかの商売上手だ。その『不安の書』の関連商品として、他にもいくつかが、手ごろな値段で手に入ったのだ。まずペソア自身が書いた『ペソアと歩くリスボン』(近藤紀子訳、彩流社)、そして映画『リスボン物語』のDVDなどである。前者はまだ読み始めていないが、後者は昨夜さっそく観た。/
 フランクフルトに住む録音技師ヴィンターがリスボンで映画を撮っているフリードリッヒの依頼でポンコツ車に乗ってリスボンにやって来るのだが、たどり着いてみると肝心のフリードリッヒが居ない。とりあえず彼のアパート兼仕事場に寝泊りしながら友の捜索がてら仕事仲間や町の人たちと交流していくという筋の映画で、監督はロード・ムービーの巨匠W・ヴェンダーである。主人公が時おり手にする本がペソアのものだったり、リスボンの街中にペソア風の男が歩いているカットなどもあって、映画は単にリスボンへのオマージュだけでなく、全編がペソアに捧げられていると言えなくもない。また主人公の音入れ作業に付き合わされる結果、美しいリスボンの町が映像だけでなく音響によっても立体的に捉えられていることに感心した。
 さらにはフリードリッヒの仕事仲間として登場する「マドレデウス」という音楽グループ、とりわけテレーザ・アルゲイロの歌声が実に素晴らしい。いや主人公ならずとも彼女の歌声だけでなく、彼女その人に魅了されてしまうだろう。見終わった後、さっそくアマゾンを検索。サウンド・トラック盤だけでなく、彼女がまだ在籍していたときの旧メンバーによる「アンソロジー」と「陽光(ひかり)と静寂」というCDを定価1円などという冗談みたいな値段(手数料は取られるが)で手に入ることになっている。
 白状すればさらにもう一つ。まさかそこにペソアは関係していないと思うが、英国推理作家協会賞をもらったロバート・ウィルソンの『リスボンの小さな死』という二巻の推理小説である。「病膏盲に入る」とはこのことなりだが、とうぶん治りそうもない。
 ついでに思いだした(とはウソ。こちらの方が本当は言いたかったこと)。テージョ河の河べりで両足を投げ出して川面を見つめる若い頃の妻の姿だ。あれは1980年夏、一家でスペイン旅行をしたときのことだ。白い水玉模様の薄い黒のワンピースを着たまだ若い妻の写真が残っている。あゝあの美しい港町をまた訪れることなどあるのだろうか。いや行けなくてもいい、ペソアの詩や散文を読むことで、アルファマの鰯を焼く匂いやテージョ河の川風を思い出そう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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