あゝ、ごせやけっことーっ!

 午前中、十和田にいる頴美から電話があった。ばたばたと慌しく旅立っていったので、愛の可愛がっていたメルちゃんを風呂場に置いたままだから、居間にでも持ってきて乾かしてやって欲しい、と言う。水に濡れると緑色に、乾くと金髪になる人形のことである。さっそく風呂場に行ってみた。なるほど洗面器の中に緑色の髪をしたメルちゃんがいた。べつだん送ってとは言われなかったのだが、おじいちゃんとしては送らないわけにはいかない。
 
 午後の散歩は、だから先ず郵便局から、メルちゃんのほか愛のおもちゃ少々、支援物資の中の駄菓子少々、そしてもうすぐ誕生日を迎える頴美へのお祝いなどを入れた段ボールをゆうパックで送ることにした。昨日から受け入れや配達が再開したはずだが、なにせ一月半ぶりのこと、疑心暗鬼のまま局に入っていくと、ちょうど百貨店(とは古い日本語!)の開店時とまではいかないが、四、五人の局員が腰を低くして丁重に迎えてくれた。そうそう、その気持ち忘れないでくれよな。配達料込みのはずなのに、お客さんのガソリンをがっちり使わせて遠路はるばる荷物やら郵便物を運ばせたんだぞい。
 
 そのあと、いつものコースを通って、夜ノ森公園のいつものベンチで日向ぼっこ。通りかかった、私たちより少し年上のご夫婦に挨拶。すると期せずして今度の騒ぎの苦労話になった。20キロ圏内の小高の人たちだった。家の損壊はわずかだったが、とうぜん避難しなければならなかった。しかし幸い原町区の親戚の持ち家に住むことができたそうだ。一度家に戻って取ってきたいものがあるが、一昨日からは警官が厳しく立ち入りを禁じていて、自分の家なのに悔しい思いだという。六号線を見張っているのは京都府からきた警官らしく、声をかけてもにこりともせずに監視しているそうだ。
 
 ねっ言っただろ、いざという時には、警官にしろ兵隊さんにしろ、国民を守るというより国民を監視するものへと一瞬のうちに変化するって。確かに顔見知りの県警の警察官より、京都あたりから乗り込んできた警察官の方が威嚇的効果はありまさーね。
 
 「なーんだか、この歳になってこんな目に会って、このさき生きるのやんだくなったー」
私より二歳年上のおばあちゃんが言い、その側で優しそうなおじいさんがうなずいている。
 「そったらこと言わないで、がんばっぺ。だっておねーさんもあの辛い終戦を生き抜いてきたんだべ。楽天的って笑われっかもしんねーけど、生きてればぜったいいーことあっから。この間も、ほらこの下の駐車場で、段ボール重ねて焼き鳥売ってる若者いたから、大変だなーって声かけたら、俺たちよりもっとひどいことになってる人がいるんだからぜいたく言えねー、って言うんだ。そして売り上げ金全部、市役所に持ってくって言うだー。こんな若者いる限り、復興も間違いねーど」
「んだかー、政治家も役人もろくなのいねーけど、そんな若者いるんなら希望持つかねー、じいちゃん」
 
 こう言い残して二人して仲良く葉桜の下を遠のいていった。菅にしり枝野にしろ、はたまた自民党の銀行員だかなんだか分からないとっちゃん坊―やにしろ、もう顔見たかない、というのが正直なところ。かといって彼らに代わる政治家の顔も思い浮かばないのがしゃくだが。

 飯舘村の人たちが怒ってる。とうぜんの反応だ。飯舘村はああしてテレビでも取り上げられているけれど、我が南相馬市にも計画的なんとかの区域に指定されているところがある。とうぜん人が住んでいる。その人たちのことも忘れないでくれよなー。昔々、福島市にいた美子に会いに行ったり会いに来られたり、何度も越えたあの八木沢峠は、はてどちらの区域、計画的避難区域? それとも避難準備区域? あゝごせやけっことーっ(あゝ腹が立つーっ)!

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください