午後の断想

今日も梅雨の晴れ間というのだろうか、爽やかな午後である。郵便局に行った帰りに夜の森公園に寄る。やはり一人で散歩するのは寂しい。ほんの数ヶ月前までは美子と歩いていたのに、と考えると、物事には必ず終わりがあるんだな、としみじみ悟らされる。
 このごろスペイン語を読むことが多くなった。例の装丁の仕事(?)のほとんどがスペイン語図書相手だからである。ピオ・バロッハのマドリード下町三部作の一つ『探索』や『知恵の木』など彼の作品集が意外とある。ヘミングウェイが彼の作品に傾倒したなどと聞いてはいたが、果たしてヘミングウェイは何語で読んだのかさえ調べないできた。彼の甥に当たる文化人類学者カロ・バロッハの大作『カーニバル』(法政大学出版局、1987年)を訳したことがあるが、いつか読むつもりで小説家の叔父さんの作品も集めたのだろう。
 なんだか悲しくなっちゃう。いや人間の能力だけでく、そもそも時間が限られているということがさ。
 話は突然変わるが、いまスペイン文学の翻訳事情はどうなっているのだろう。ピオ・バロッハに限らず、他にもたくさん優れた作者がいるのに、ガルシア・マルケスやバルガス・ジョサなどラテン・アメリカの作家たちのブームが来て、それはそれで結構なことではあったが、いつの間にかスペインの作家たちが忘れられてしまったようだ。でもそんななか、クラリンの『ラ・レヘンタ』(白水社、1988年)という文字通りの大作が東谷頴人氏の訳で出たことは特筆に価する。A5というのだろうかそれとも菊判というのだろうか、二段組で八百ページもあるせいもあって、読む人が少ないような気がするが、かく言う私も、実は今度の書庫探索まで文字通り積んどいたわけだから偉そうなことは言えない。
 この作品も、フローベールの『ボヴァリー夫人』を凌駕するとの評判だけは知っていたが、どうしてそう言われるのか調べることもしないばかりか、恥ずかしいことに今までまともに読むこともなかったのである。その罪滅ぼしにもならないが、白い無地の布表紙だけでは殺風景(?)だろうと、背中のところだけ横線の入った草木染みたいな布地を貼って少しは見栄えよくして、少しずつ読むようにしている。いやなかなかの名訳である。少なくともスペイン語を勉強するほどの人は、是非この訳書を手にとっていただきたい。なーんて、私からはとても言えた義理ではないが。
 ついでにもう一つスペイン語の本をご紹介する。それはルス・ベネディクトのあの有名な日本文化論『菊と刀』のスペイン語版である。簡易装丁の新書版(アリアンサ社、1974年)だが、たまたま白地に透かし彫りのように菊の花びらの入った切れ端を見つけたので、これを厚紙で補強してちょいとしゃれた装丁の本ができあがった。日本語版も持ってるだけでまともに読んでこなかったので、この際、スペイン語で読んでみようか?
 おいおい、そんな時間あったっけ? でも時間はあるものではなく作るものだろ? だったら残された時間なんてけち臭い計算などしないでさ、思い切り贅沢に、余裕綽々(しゃくしゃく)に生きていこうよ。それで道半ばで斃れたっていいじゃない?

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

午後の断想 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     夜の森公園はモノディアロゴスの中に何度も登場する場所ですが、私の思い描く印象は先生と奥様が椅子に腰掛けて国見山を眺めながら日向ぼっこをしている午後の情景です。国見山が見えるのかは私にはわかりませんが、季節は寒い時期。先生が「一人で散歩するのは寂しい」と言われていますが、そういう印象を持っている私には先生の寂しさがひしひしと伝わってきます。

     人生、人間が生まれてきて死ぬまでの「時間が限られている」、の意味を考える時、この時間は有限だということに誰もが気付くはずです。

     先生がモノディアロゴスの中でこんな事を言われています。「人間が生きていくことの究極的な答えは、死ぬまで出ないだろう。しかし、それを問い続けることそれ自体が生きることであろう」2010年7月29日「一枚の葉書と一通の手紙」。先生が「思い切り贅沢に、余裕綽々に生きていこうよ。それで道半ばで斃れたって好いじゃない?」と言われているのもそういうお考えからかもしれません。そして「一瞬一瞬がかけがえのない一瞬一瞬であることを確認しながら生きる」と結ばれていました。

     人生が無限であれば、「寂しい」という感性も存在しないのかもしれません。「物事には必ず終わりがある」から与えられた時間を精一杯真摯に、そして大切に生きていくこと、それが生きる意味なのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください