あゝ、後の祭り

今朝の新聞を見ると、広島市北部に甚大な土砂災害が起こり、死者36人とあった。私が青春の3年間を過ごした安佐南区長束のイエズス会修練院は少し高台にあるので被害は及ばなかったと思うが、しかし大変な被害であることは間違いない。大田川流域での河水の氾濫によるものらしいが、何とも痛ましい。これを貴重な警告と捉えて、全国の治水対策の真剣な見直しを求めたい。
 この猛暑の中、鬱屈するさまざまな思いを振り払うかのように、時間を見つけては、というより空き時間をただただ埋めるためだけに私家本の印刷製本をやってきた。そんな折、時々古いモノディアロゴスを読み直すことがあるが、自分でもこれは、と思う文章を見つけては、あゝあの時これをもっと本気になって主張すれば、と思うことがある。次の文章などもその一つである。お時間のある方はぜひ読んで見てください。


生命に関わる問題として

 なんとも杜撰かつ奇妙な曲折を経て、わが原町市と、北隣の鹿島町、南隣の小高町が合併して「南相馬市」となることが決まった。もともとお上の掛け声で始まったこの町村合併の流れには反対であった。自分たちの住む町や村を、自らの力と体温で充足させていく気力も見識もない者同士が、一時的に支給(正確には貸与だろうが)される補助金目当てに擦り寄っても、期待できるのはわずかだからである。
 ただ今回の合併に、私として唯一意味が見出せるとしたら、それは東北電力と小高町・浪江町が結んでいる新たな原発設置計画を、当事者の一人として問題化する理由と権利が出来ることであった。実は自分の余生をこの風光明媚な海岸線を持つ福島県浜通りで送ろうと決める前までは、迂闊なことに原発について真面目に考えたことが無かった。先日亡くなったウメさん(妻の母)を大熊町の施設に見舞っているうち、ようやく事の重大さに気づき始めたのである。
 しかし現金なもので、自分の子供や子孫が将来ともこの地で生きることはないと思っていた間は、まだどことなく「他人事」であった。しかし思ってもみない状況の変化で、自分たちの子孫がこの地に根を下ろす可能性がかなりの確率で出てきた今になって、ようやく「我がこと」として切実な問題に思えてきたのである。
 「南相馬合併協議会報告書」なるものを瞥見すると、合併前のそれぞれの市や町が抱えていたものは、原則的に合併後の新市に「引き継がれる」ということである。しかし原発に関する小高町(と浪江町)の東北電力相手の取り決めまでもがそのまま新市にいわば「負の遺産」として相続されるのは、純然たる法律論としてもかなり問題がある。たとえて言うなら、前夫 [あるいは前妻] との間に重大かつ未解決の問題を抱えたままの女 [あるいは男] と結婚する者には、相手に対してその取り決めの清算あるいは白紙撤回を求める権利はないのであろうか。いや少なくとも自らを当事者の一人として三者間での契約の再検討を求めるのは当然の権利ではなかろうか。
 とは言っても、原発反対の意志をどう表現していけばいいのか、さらには反対運動をどのように広げていけばいいのか、現段階ではまったく見通しが立っていない。原発そのものについての勉強を含めて、ちょっとしんどいな、というのが正直な気持ちだが、事は生命に関わる問題、しつこく根気よく攻めて行きたい。                             2005/2/1


追記 幸いなことに、というか当然のことではあるが、原発計画そのものについては昨三月、東北電力より以下のような発表があった。もちろん文章から透けて見えるのは、これはあくまで一時的・暫定的な処置であり、将来事情が好転すれば(?!)またぞろ再開に向けて策動する可能性ありと考えた方がいい。つまり私たちとしては以後も絶対阻止を掲げて厳しく推移を監視していかねばならないということである。

※ 文中、東北電力を東京電力と間違って記述したところがありました。すべて訂正しましたのでよろしく。

【プレスリリース・浪江・小高原子力発電所建設計画の取り止めについて】
             平成25年 3月28日

 当社は、本日、浪江・小高原子力発電所建設計画を取り止めることとしましたのでお知らせいたします。
 これまで、浪江・小高原子力発電所建設計画については、昭和43年の計画発表以来、国、福島県のご指導、そして浪江町、南相馬市(旧小高町)をはじめとする多くの関係者のご支援を賜りながら、40年超にわたって立地を進めてまいりました。
 エネルギー資源の乏しいわが国にとって、原子力発電は、電力の安定供給、エネルギーセキュリティ、地球環境問題等の観点から重要な電源であり、当社は安全の確保を第一に、地域の皆さまから信頼される発電所の建設に向けて、立地推進に取り組んできたところです。
 しかしながら、平成23年3月11日に発生した東日本大震災と、それに起因する東京電力(株)福島第一原子力発電所事故の発生以降、浪江町議会においては「誘致決議を白紙撤回する議案」、南相馬市議会においては「誘致決議を破棄し、建設の中止を求める議案」が決議されるなど、地元の現状ならびに地元の皆さまの心情などを踏まえると、浪江・小高地点の開発を進めていくことは極めて困難な状況となっております。
 また、浪江・小高地点は、まだ一部の用地取得が終了していない状況にあり、今後、原子力発電所を建設するためには、用地取得を完了させ、その後、漁業補償、環境影響評価等を行う必要があります。このため、運転開始までには相当長期間を要する見込みであり、このまま立地を推進していくことは適切ではないと判断いたしました。
 以上のように、浪江・小高地点を取り巻く諸情勢を総合的に勘案した結果、浪江・小高原子力発電所建設計画を取り止めることとしたものであり、本決定につきましては、本日、国、福島県、浪江町、南相馬市に報告しております。

以上

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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あゝ、後の祭り への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     モノディアロゴスのテーマでもある人間の根源的なものへの回帰、その根源とは何なのか。モノディアロゴスを繰り返し拝読していると感じるものは、その場、その時に言葉の端々から読者に静かに歩み寄ってくる先生の息であり意志の断片のように感じることがあります。

     表題の「生命に関わる問題として」は、先生の社会に向けられた問題提起であり、それは紛れもなく先生の意志そのものの表明なのかも知れません。先生は知性の悲観主義、意志の楽観主義と言われています。ご著書にも「物事に真実性を与えるのは、知性でなく意志なのだ」とウナムーノの言葉を引用されています。人間が根源に帰るということは、人間の意志への覚醒とイコールのように私は思います。

     現代社会は利便性や快適さを求め、享楽と利己主義の時代、言い換えれば意志喪失の時代と言っても良いかも知れません。つまり、意志を必要としない社会を大衆は望み、歓迎しているから原発が存続するんでしょう。それは原発だけでなく、社会のあらゆる場所で蔓延しているのが現代社会なのかも知れません。人間は根源的なものに向かわない限り決して救われないように私は思います。

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