忙しくて死ぬ暇もない


「梅雨前線とかの接近で、今日も一日どんよりと曇って、重苦しい一日だったね」
「でも中央の政界、なかなか面白くなってきたよ。安倍首相の応援団とかいう自民党若手議員たちがとんだオウンゴールを何発も蹴り入れて、思わぬ順風が吹き始めたね」
「順風じゃなくて逆風だろ」
「いやさ、まともな国民にとっては、という意味」
「それにしてもあの議員たちの知性の無さというか、頭の悪さはひどいね。そんな連中がわんさか集まってるわけだ」
「それに何とかのゼロとかいう通俗小説を書いた○○茶瓶の下品なこと」
「首相と肝胆相照らす文化人だとさ。だから前から言ってたろ、首相の知性の程度もあの程度だから、彼の政治的宿願というか妄念が三文小説並みのものだって」
「会期延長したから、ますます馬脚が顕れてくるぞ」
「この話面白いけど、もう止めようよ。日本の政治がここまで堕ちたか、となんだか悲しくなってくるから」

今日もめげずに古書の修繕を続けています。昨日はこれまで唯一ラテン語から訳した『人類共通の法を求めて』(新世界の挑戦アンソロジー6、岩波書店、1993年)の種本に使ったラテン語・スペイン語対訳本 (“Releciones de Indios y del Derecho de la Guerra”, Espasa-Calpe, 1933) のコピーを見つけた。しかし記録を残していなかったので、それがどこの本をコピーしたのか全く記憶に無いので弱っている。「あとがき」で1989年から翻訳を始めたと書いているので、手に入れたのは静岡から八王子に移った年なのだが…どこにも図書館印が押されていないので、たぶん岩波の自社蔵書をコピーしてくれたのか。
 コピーなので印刷面を上に袋綴じにすると対訳の意味がなくなるからか、2ページ大のまま綴じてあったのだが、それだと書棚に整理しにくいので、印刷面を内側に折って、今度は裏側同士を糊で重ね合わせてB5版の本に作り直した(ややこしい説明でした)。それに厚紙の表紙をつけ、さらに布で包んでちょっと見栄えの良い本に仕上げた。もともとの本の二倍の厚さになったわけだが、苦労のし甲斐があってたいへん得した気分だ。
 こんなことをして大事な時間をつぶすのはどうかな、と不安になる瞬間もあるが、しかし他にどんな有効な時間の過ごし方がある? その時そのときを、その瞬間瞬間を、ていねいに、心穏やかに過ごす。そう、ホラチウスの「カルペ・ディエム(その日を掴め)!」の気持で生きていこう。
 そう考えると、この陋屋の中でもやることがいっぱいある。そして思わぬ発見にも恵まれる。例えば今日の午後、二階居間(震災前の夫婦の居室)の本棚から面白い本を見つけてきた。あのドン・キホーテの挿絵画家として有名なドレ(Gustave Dore, 1832-1883、フランスの画家、版画家)が友人のダビリエ(Charles Davillier)男爵と一緒にしたスペイン旅行の記録(スペイン語訳 “Viaje por España”, Miraguano Ediciones, 1998)である。それも上下合わせると1,000ページを超え、しかも何と325枚!にも及ぶドレの版画の下絵、ところどころにはジプシーたちの歌う曲の楽譜までが入った大型の本。もちろん購入後、例のごとく厚紙で補強し背革に仕上げた豪華本である。
 しかしいつこんな本を手に入れたのか、全く記憶が飛んでいる。出版年から推定すると、購入したのは八王子時代か。でもどこから? ある時まではサラマンカのセルバンテス書店(だったか?)から取り寄せていたが……日記を調べればどこかに記録が残っているかも知れない。
 かくのごとく、我が余生は空間的にはごく限られてはいるが、本を通しては遠くイベリア半島にまで広がり、時間的には過去という深い闇が、失われた時が、探索されるのを待っている。そう考えると、無聊を託つ暇なんて無いわけだ。あゝイソガシイソガシ、これじゃ死ぬ暇も無いわい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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