出て来ぉ〜い!

昨二日、夜は八時半からのFMひばりの放送時間が近づいてきたので、さて日頃使ってない小型ラジオでもセットしようかと思ったとたん、大変なことに気付いた。左耳にあるはずの補聴器が無いのだ。夕食前、頴美と一緒に美子を病室に見舞ったときには確かにあったはず。さあそれからが大変。日ごろから机周辺はバーミューダの魔のトライアングルよろしく、机から落下したものが不思議に消えてしまう。懐中電灯を点けての捜査もむなしく、なぜか消えてしまうのだ。そして数日後、思わぬところから出てきたりする。
 昨晩も暗い隅っこまで隈なく探したし、もしかして、と周辺の紙袋をひっくり返したりしたが出てこない。胃腸炎もすっかり癒えたので久しぶりに夕食に缶ビールを飲んだせいか、病院から帰ってきてからの我が行動がうまく思い出せない。降参! 息子夫婦に来てもらってさらに捜査網を広げたがそれも無駄に終わった。
 待てよ、もしかして病室で美子の方にかがみ込んだときに落としたか。まさかとは思ったが藁をもつかむ思いで、病院のナースステーションに電話を入れ、万が一病室に落ちていたら取っててください、と頼み込む始末。こうなると放送など聞く気にもなれず、未練たらたら、さらに二度、三度と机の周辺を探し回ったが、ないものはない。
 とりあえずは机に向かって、その時来ていた清泉時代の教え子E・Mさんへのメールにまでボヤキ節を書き込む。すると彼女から「補聴器だから、ちゃんと聞こえてると思いますが…」と彼女には珍しくボケをかましてきた。その時のメールの件名が、表題の「出て来ぉ〜い」。
 ところが補聴器君、おっとまだ正式に紹介してませんでした、彼はパリミキからレンタルで借りてきてまだ三日目の、耳穴にすっぽり入る超小型の補聴器で、レンタル中に失くせば四万円の損料を取られる代物。恥も外聞もなく騒ぎまわるだけのお値段である。
 ところが、ともう一度繰り返すが、E・Mさんの「出て来ぉ〜い!」という呼び声が聞こえたのか、それからしばらくして寝る段になって、丸椅子に腰かけてズボンを脱ぎ、股引を脱いだ時、足元にポロンと小さな塊が転げ落ちた。ウッソでしょー補聴器君だよーっ!
 つらつら考えてみるに、夕食時にビールを飲んだあと、まだ治りきらない皮膚炎、とりわけ背中のそれが猛烈に痒くなり、急いで孫の手を背中にこじ入れて掻いたとき、知らぬうちに補聴器君が襟元へ滑り落ち、そのままシャツとセーターの間を落下し、さらには緩めのズボンと股引の間をかいくぐって靴下のあたりで止まっていたらしい。
 もちろん翌朝、ナースステーションにお詫びの電話を入れたが、その時応対した看護師さん、先日の無愛想な彼女とは打って変わってとても感じのいい看護師さんで、補聴器が出てきたことを心から喜んで下さった。
 以上、桜の開花はまだまだ先のことですが、独居老人には迷惑至極の補聴器君の落花(落下)の舞のご報告。爾来、補聴器の落花(落下)狼藉を未然に防ぐ意味で、補聴器の下の小さな輪っかに輪ゴムを通して耳に掛けることにしました。♪♫

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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