私家本製作の苦労と喜び

自分では飽きっぽい人間だと思っている。ところがときどき、おやっとびっくりするほど、一つのことを執拗に続けていることがある。今回もそんな感じである。つまりバッパさんの本を作りだしてからその勢いがついたのか、続けて自分の『モノディアロゴスⅡ』製作に移ってからも一向にその勢いが衰える気配がないのだ。
 結局、今日までバッパさんの『虹の橋』を55冊、『モノディアロゴスⅡ』を56冊作ったことになる。それぞれが200ページと300ページ近い厚さだから、B5の紙を…ちょっと計算が面倒なくらいの紙を印刷し折ったことになる。もっとも印刷は印刷機だし、折るのもダーレちゃんだけれど、セットしてそのまま放っておくというわけには行かない。印刷の途中でインク切れになったり、紙折り機も一度に大量の紙を折ってくれるわけではないからだ。
 しかも印刷の終わった紙をいちいち検査しないと、中に白紙が入っていたり、紙送りの不具合から1ページ分の印刷がずれて2、3枚、時には5、6枚に渡ってしまうことがあり、そのときは後からそのページを印刷しなおさなければならない。
 またダーレ君(まだ男の子か女の子か性別が決まっていない。ドイツ語ではスペイン語のようにすべての名詞が性別されているのだろうか)は、その時々の、なんだろう紙送りのローラーの具合とか、紙に帯電している静電気(白状すると、いま静電気という言葉を思い出すのに30秒の時間が流れた)のせいで 2ミリ、ときには4ミリ近くのズレが生じ、それを後から一枚一枚手で折り直さなければならないのだ。
 こんな苦労話、ここいらで止めるべきだろうが、もしかして普段の話よりこの話に興味深々という奇特な人がいるかもしれないので、最後にもう一つ。それは他でもない用紙のことである。いままで紙選びには苦労した。いや正確には、紙選びができないことに苦労したのだ。つまり近くに紙専門店がない以上、購入はスーパーとか量販店にあるものを選ぶしかない。
 一時期、量販店に格好の紙を見つけた。再生紙でなおかつ白色度がたぶんそれほど高くない紙である。再生紙については、新聞にすっぱ抜かれたようにその表示はかなり怪しいのだが、白色度については目で判断できる。いわゆるコピー紙の大半はやけに白くて、読むのに疲れる。そのとき見つけた紙は、白色度がころあいの白さで、インクの乗りもかなり良く、これはしめたと喜んだのだが、あるときを境に店の棚から消えてしまった。あわてて店員さんに聞いてみると、うちはこれからこちらのもっと白いコピー紙に代えましたときた。ガッカリ。
 しかし捨てる神あれば拾う神あり、いやこんな場合に使う言葉ではないだろうが、インターネットで格好の紙を見つけたのである。同じような紙を捜している人に参考にでもなれば、と詳しくお教えするが、四国は松山市にあるリパップ(ふざけたことに paper の反対読みらしい)という会社が売っている「再生紙 GREEN PAPER B5 70」という紙である。ちなみに一箱(2,500枚入り)で、二箱以上買うと一箱1,360円と値段もリーズナブルである。自分で言っておきながらなんだが、なんでこのごろ「リーズナブル」などというヤンキー言葉が流行ってるんだろう、大和ことば(?)に「お手頃」などという優雅なことばあるのに。
 さて本当に苦労話はここまで。問題はそれでなくても読者が少ないのに、56冊も作っておいて、それでも普通の出版社から出すつもりかどうか、の決断が迫られていることである。でも幸か不幸か、打診した出版社からそのご一切音沙汰がない。ここは私家本で通すことにしようか。
 紙折りの労力は少しは軽減されたとはいえ、糊付け前の、つまり最後からひとつ前の(スペイン語では penultimo と言う)点検(スペイン語では revisión)、さらには表紙をつけてからの最後の点検で、もしも二つ折りの片方の紙に糊が届いていない場合にスティック糊で張り合わせるなどの作業は本当にチカレます。でも中には友人に贈りたいから3冊ください、などというそれこそ奇特な愛読者もいるとなれば、私家本製作者の喜びもまた大きい。(お気づきの方もいると思いますが、このあたり巧妙な宣伝になっておりまする)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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