李良枝に出会うまで


死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を歩みゆかねば。

今宵も星が風に吹き晒らされる。

 1917年、間島(現・中国吉林省延辺朝鮮族自治州)出身の朝鮮人詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩である。第二次世界大戦下の日本で、治安維持法違反の嫌疑で逮捕され、1945年に獄死した。朝鮮語での詩作を続けた彼は、韓国において国民的詩人として有名であり、北朝鮮でも一定の評価を受けているという。
 VHSからDVDへの転換作業の途中で、かなり以前にNHKで放送されたドキュメントを見つけ、さっそく階下の本棚から、『空と風と星と詩 尹東柱全詩集』(記録社、1984年)を探し出し、上の詩と再会した。そしてしっとりと落ち着いた深緑色の布で装丁し直した。
 そのうち金芝河(キム・ジハ)の詩集も探し出し、ゆっくり読む機会を作らなければ、などと考えているうち、自分は朝鮮文学についてどれだけのことを知っているのだろうか、と反省した。中国文学に関しては、古典から現代文学まで一応基本的文献は持っているし、少しは読んでも来た。しかし朝鮮文学については、気になりながらも何も知らないままで来た。確か岩波文庫から出た『朝鮮短編小説…』とかいうものもあったはずだが、貞房文庫には登録されていない。どこに行ったのだろう。
 朝鮮人作家についてはそれら二人の作家以外は知らないが、在日作家については何人かの名前を挙げることができる。金達寿、李恢成、梁石日、そして柳美里と宋秋月。
 昨年、芥川賞を受けた中国人作家の楊逸の場合もそうだが、その名前の読み方がどうもはっきりしない。たとえば李恢成はリカイセイとして記憶しているが金達寿はキム・タルスと原音(に近い)で読む。中国人作家や朝鮮人作家など漢字名を持っている作家は日本語読みで統一しようかなとも思うが、梁石日はリョウセキジツと呼ぶのだろうか。なんだか中国人のような音だ。やはりヤン・ソギルのほうが迫力があってよろしい。
 そんなこんなで在日朝鮮人作家のことを調べていくうち、芥川賞を受けてまもなく、37歳の若さで亡くなった李良枝という作家のことを初めて知った。遅すぎた発見だが、まだなんとか間に合うだろう。さっそくアマゾンに、受賞作『由熙』と遺稿『石の聲』の2冊を注文した(幸運にも一円のがあった)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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