今夜は月が出ていない

英語にしろスペイン語にしろ、皆さんは冠詞の使い方のむつかしさに手を焼いていますね。たとえて言うなら、その難しさは日本語の助詞、とりわけ「が」と「は」の使い分けの難しさにも匹敵します。これさえあれば、定冠詞をどこに使い不定冠詞をどこに使うか、もう迷わなくても済むといった公式みたいなものがあるんでしょうか。
 皆さんはこれまで魯迅の『狂人日記』のスペイン語訳などという中級スペイン語の教材としてはすこし難しいものを読んできました。あるいは無謀な試みかも知れません。しかし何度も申しあげたとおり、外国語を理解するというのは、けっして文法の知識や単語の知識だけによるものではありません。皆さんが考えるむつかしさは、たいていの場合、外国語を文法や単語の知識だけで分かろうとしていることに起因することが非常に多いと思います。つまり外国語を前にして、ちょっと残酷なたとえですが、まるで手足をもがれたかのように不自由な姿で立っているのです。
 要するに、これまでひとりの人間として経験してきて得た、たとえば類推するとか比較するとか、推理するとか連想するとか、ともかくあらゆる種類の知的能力を使わないで、というか、そんなものは目の前の外国語を理解するには必要ないんだとばかりに無防備な姿で立っています。でも外国人といえども人間に変わりはありません。もちろん歴史や文化の違いから、私たちとは違う反応をしたり考えたりすることはあります。しかしその割合はほんのわずかで、あとは嬉しいときには喜び、悲しいときには泣く、痛いときには顔をしかめるなど、私たちとなんら変わるところがありません。
 たとえば外国語の文章を目の前にしたとき、真面目な人(?)ほど分からない単語に狼狽します。つまりこれは分からない、あっこれも分からない、という具合に、分からないところに注意が向かい、その他の分かるところには注意が向かわない、そしてすぐ辞書を引き、細かい字でその単語の側に訳語を書きつけたりします。つまりその外国語の文章を一枚の写真に見立てると、それを無理に陰画として見るようなものです。本当はその逆、つまりこれは分かる、あっこれも分かる、という具合にポジティブに見なければならないのです。もちろん分からないところがちょうど虫食い跡のように黒く残っていますが、でもじっくり落ち着いて、そして先ほど言った様々な知的手段を駆使して、その虫食い跡の意味を推理していくのです。するとまるでミッシング・リンクを探すようなスリリングな冒険に見えてきませんか…
 おっと、今日お話しようと思っていた定冠詞の問題に戻りましょう。これは、文法的な難しさとも、経験を土台にしての推理の難しさとも違う、もう一つ別の難しさに属します。つまりその外国語特有の慣習みたいなものと言えるかもしれません。これだけは場数を踏んで徐々に覚えていくしかないものでしょう。
 テキストに出てきた一つの単語を例に説明しましょう。お月さん、lunaです。
三つの文章をならべてみます。

① Esta noche hay una luna muy hermosa.(今夜は月がとても美しい)
② Esta noche no brilla la luna.(今日は月が輝いていない)
③ Esta noche no hay luna.(今夜は月が出ていない)

 不定冠詞が使われたり、定冠詞が使われたり、そうかと思うとそのどちらも使われていない。いったいどうなってる? こういう使い分けは、教科書や文法書ではあまり説明がなく、初級者は戸惑ってしまいます。そこになんらかの法則があるのか。もちろん先ほど例に出した日本語の「が」と「は」の使い分けの場合と同じく、一応の説明はつきます。つまり天体としての月そのものを指す場合、それは一つしかないものですから定冠詞が必要、しかしその一つの月も様々な様態を見せます。くっきりと美しい月もあれば、朧な月もあります。そのとき、つまりあまたある月の様態をさす場合には不定冠詞が必要。それでは③の場合はなぜ? 天体としての月がない(Esta noche no hay la luna)なんて言えばそれこそ天地がひっくり返るほどの大問題ですね。月は絶対にあります、しかし雲の向こうに。つまりこの無冠(?)の月は、天体としての月そのものではなく、月の光という意味でのlunaなのです。
 以上、一応の説明はつきます。でも冠詞や不定冠詞の用法に万能の法則はないと思ったほうがいいでしょう。一つひとつ場数を踏まなければならない、言ったのはそのためです。
 おやおや、思わずスペイン語教室など始めてしまいましたが、今夜はこの辺でやめましょう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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