福島民報2011年10月5日掲載【今を生きる】

  今を生きる
  国家はいつも生きている人間の顔が見えない
  怒りの声を発信

 南相馬市原町区の元大学教授佐々木孝さん(72)は原発事故後も、認知症の妻美子さん(68)を介護して自宅にとどまることを選択し、発信し続けたブログをまとめた「原発禍を生きる」(論創社)をこのほど出版した。「国家はいつも生きている人間の顔が見えない」と怒りの声をつづっている。

原町の元大学教授 佐々木孝さん ブログまとめ本出版
 佐々木さんは北海道帯広市生まれだが、小学5年から高校まで南相馬市で過ごした。上智大を卒業し東京の清泉女子大教授(スペイン思想)などを務め、定年で平成14年に南相馬市に戻った。同年からブログ「モノディアロゴス(独話・独語)」を毎日発信している。最高1日5000件ものアクセスがあったという。震災前日の3月10日から7月6日までの約4カ月間をまとめた。
 原発事故で住民の約8割は市外に避難したが「避難することで妻の病状が悪化する」と判断した。98歳の母を近くのグループホームから引き取った。屋内退避の指示を守り、自宅に約1カ月こもったが、その間、母、息子夫婦、孫は兄がいる青森県に移って2人暮らしになった。放射線量を測り、飲料水にも注意して生活した。
 「(病人や高齢者を市外に搬送するより)ベストの選択は、(屋内退避)圏内にとどまって国や県に対して医師やスタッフ、薬品や食料を早急に補給するよう強く求めることなのだ」(3月19日)
 「“くに” とは何かということが問われている。真の “くに” は先祖たちの霊が宿る美しい風土であり、そこに住む人間なのだ。国家はいつも生きている人間の顔が見えない。大本営の作戦地図にも、今回の20キロ圏、30キロ圏(の設定)にも人間の姿は見えないのだ」(4月4日)
 「ときどきイライラしながらも(妻を看護する)生活に、そう、間違いなく満足している。これ以外の生活を考えることができない」(5月17日)
 ブログには、怒りと妻を思う言葉が並ぶ。
 佐々木さんは「原発事故は家族、夫婦、地域共同体をばらばらにした。政治の仕組み、日本人の心の有り様の問題点もあらわにした。これほど病んでいるとは思わなかった」と話している。友人の徐京植東京経済大教授が巻末で「魂の重心を低く保って、わたしたちを叱咤(しった)している思想家がいる」と記している。
 ブログの出版は6冊目。県内書店で扱っている。本体1800円。 

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

福島民報2011年10月5日掲載【今を生きる】 への1件のコメント

  1. 稲葉州治 のコメント:

     先日の徐京稙教授との心の時代での対話、拝見しました。10月2日には初めてなのですが徐教授も行かれていた萱浜へ、また石巻の仮設に入居している知人を訪ね、土台だけとなった自宅跡、雄勝~女川~南三陸町~気仙沼を案内いただき、僅かながらひっくり返された無念の状況に触れさせて頂きました。先生のブログは今日が初めてですが今後も拝読させて頂き体と思います。

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