時おりあのおばあさんの姿が目の前にちらつく。双葉町だったか、10キロ圏内ながら迎えに行った役場の人に向かって避難することを丁重に断って家の中に消えたあのおばあさんである。その後あのおばあさんはどうなったかは知らない。しかし毅然とした彼女の態度が、胸に深く刻まれたままである。
確かあのとき、家の中には病人のおじいちゃんがいたのではなかったか。「私は自分の意志でここに留まります」といった意味の老婆の言葉に、困惑した迎え人がつぶやく、「そういう問題じゃないんだけどなー」
いやいや、そういう問題なんですよ。君の受けた教育、君のこれまでの経験からは、おばあちゃんの言葉は理解できるはずもない。ここには、個人と国家の究極の、ぎりぎりの関係、換言すれば、個人の自由に国家はどこまで干渉できるか、という究極の問題が露出している。たとえばおばあちゃんがそこに留まることによって、第三者に害が及ぶ、たとえば彼女が伝染病などに罹病している場合、とはまったく違う。あるいは、たとえば彼女が明らかに自殺の意志を表していた場合なら、あるいは強制的に彼女を保護することもできよう。しかしあの時の彼女はそのいずれとも違う立場にあった。
これとは逆の、しかし根柢では共通する別の事件が、そしてその際しきりに人々の口の端に上った言葉が頭に浮ぶ。海外の危険地域で人質になった若者へ対して、いわば国を挙げて投げつけた「自己責任」という言葉である。前者は個人の意志に反してまでも保護しようとする国の意志、そして後者は、おのれに従わない者を冷たく突き放そうとする国家の意思である。この場合、個人に対する相手を「くに」とは呼ばずにあえて「国家」と呼んだ。つまり国家とは、時の統治者、上は総理大臣から下は…その国家の意思を体得し、あるいは体現して、現体制を支えるすべての者を指す。
国家の非常時、たとえば戒厳令下の場合はいざ知らず、あるいは平常時であっても法を犯さないかぎり、国家と個人の関係は庇護する者と庇護される者という実にありがたい関係にある。ふだんは意識しないが、海外を旅行する者にとって、パスポートに書かれている文言はどれほど頼もしく有難いことか。「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」 なんと頼もしい後ろ盾であろう。
しかしこれが、ひとたび国家の意思に逆らおうとしたら、あるいは犯罪でも犯したりしようものなら、たちまち国家は冷たいジュラルミンの盾で武装した機動隊員の列に、あるいは手錠でこちらを拘束する者へと急変するだろう。
ふだん私たちは、厳然として存在する国家と個人のとてつもない距離を意識していない。旧満州で終戦を迎えたとき、僻地熱河にいた私の家族は幸いにもそうした悲劇には巻き込まれなかったが、多数の開拓民は敗走する皇軍に見棄てられた苦い経験を持っている。沖縄戦でも似たような悲劇を体験した。つまり国家は、ひとり一人の国民を見ているわけではないのだ。20キロ、30キロラインの策定にも、ひとり一人の、そうあのおばあちゃんの顔など見えるはずもない。もともとそういう関係なのだ。
被災した県や市町村の長たちが復興支援を求めて、首相や関係諸大臣に陳情という形をとるのはとうぜんと考えるべきかも知れないが…でも国家エネルギー政策の不備によって起こされた大事故の後でも平身低頭の挨拶しかないのか…そんなときである、忽然とあのおばあちゃんの姿が浮かび上がる。おばあちゃんなどと他人行儀の呼び方ではなく、もっとふさわしい呼び方をしよう。ばっぱさん!
ばっぱさん、あなたは今どうしていますか? あなたのところから少し南に行ったいわきの在に、今はなきもう一人の偉いばっぱさんがいました。ご存知でしょ? 菊竹山の吉野せいさんです。生きていたら間違いなくあなたに声援を送ったでしょうに。もう少しで99歳になる我が家のばっぱさんも、きちんと説明してやったら、きっとあなたに応援メッセージを送ったと思いますよ。腰砕けのだらしない男たちにくらべて、東北のばっぱさんたちは一本筋が通ってます。凛として潔い。
あゝ、ばっぱさん、あなたの連れ合いはお元気ですか? 今朝も残り少ない手作り野菜で、少し濃い目の味噌汁を作ってやりましたか? どうかしたたかに生き抜いてください。機会があれば、いつかお会いしたいですね。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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