春の椿事

「エル・システマ・ジャパン」という子供向けの音楽教育活動が隣りの相馬市で発足したことは友人の■さんから聞いて知っていたが、順調に発展し、先日もそのコンサートが開かれ大盛況だったようだ。エル・システマというスペイン語の名前からも分かるように、もともとこの組織は、1975年に貧困や治安の悪化という問題を抱えていたベネズエラの子どもたちを犯罪や非行、暴力などから守ることを目的に始まり、現在では50以上の国・地域で活動しているという。それが東北大震災のあと2013年、隣りの相馬市で日本での活動を開始したわけだ。
 現在は伊達市で地域振興要員として働くかたわら福大の大学院で経済学を学んでいる■さんだが、もともと海外青年協力隊員として南米に関わってきた経歴が縁で、このエル・システマでもスタッフとして奮闘中。
 ところが世間は広いようで狭いとはよく言ったもので、わが舎弟の守口さんがこの組織のサポーターでもあったことを今回初めて知った。きっかけは、エル・システマの子供たちの演奏会が東京であったとき、その演奏の素晴らしさに度肝を抜かれたからで、それ以来サポーターになったそうな。
 話はそれだけではない。実は彼、大震災後、被災地の岩手県大槌町にも定期的にお茶で被災者を慰める運動をしてきたが、2014年5月からはこの大槌にもエル・システマの第二の拠点ができ、彼の活動が相馬と大槌という二つの地点でエル・システマのそれと重なったことを彼自身大いに驚き、その不思議な縁に感動している。
 その彼が今回、相馬での演奏会の前に我が家を訪れ、この黙居老人のために茶を立ててくれたのだ。今回は仮設訪問ではなく、この私のためだけに茶道具一式を大型のキャリーバッグに入れ、おまけに「聖なる空間」を演出するための茣蓙一枚を丸めて持ってきてくれたわけで、なんともありがたいことったらありませなんだ。持参した春の和菓子を頂いたあと、彼の立てたお茶を静かにいただきましたよ。こんな贅沢、それこそまるで大名になったような気分。お茶は現在では女性が主流の習い事になっているが、言うまでもなく、もともとは武士の間の作法として生まれ完成されたもの。だから大名気分は当然かも。
 閑話休題。守口さんからもらった新しいパンフレットで、エル・システマジャパンの活動状況、そしてサポーター組織の大筋を知ったが、これはぜひ皆さんにもご紹介しなければ、とデータを以下に書きますので、お時間のあるときにでも一度ぜひアクセスしてみてください。
www.elsistemajapan.org
www.facebook.com/elsistemajapan

※ 追記
 もちろん今回、相馬市でのコンサート終了後、初めて互いに自己紹介し合って、守口さんと■さんお友だちになりましたとさ。これでまた友だちの輪が広がりました。めでたしめでたし。
※ 再追記
 ネットでアクセスすればすぐ分かることだが、こんなビッグニュースも載ってます。
「初めての海外公演!震災から5年となる3月、招聘を受けた相馬子どもオーケストラはベルリンフィルと共演へ。」!!!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

春の椿事 への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生が言われた「おのれの内部へ進め」を私なりに「人格としての自己を発揮すること」と解釈してみましたが、単に机上で思索することから実践の場で自己の人格を発揮されているのが、守口さんだと一連の先生の文章を拝読していて感じています。先生のご自宅で守口さんが精魂込められてお茶を立てられているお姿を思い浮かべ、『荘子』の中の言葉を思い出しました。

     「君子の交わりは淡きこと水の如し」

  2. 守口 毅 のコメント:

    阿部さんのコメントは些か気恥ずかしい思いです。
    昨秋おふくろが死んで、いろいろセットアップしたいと思っていた時、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を読んでみました。
    年老いた少年のひとりとして、嬉しい内容でしたが、そのなかに、確かナポレオンの話の最後だったと思いますが「人類の進歩と結びつかない英雄的的精神もむなしいが、英雄的な気迫を欠いた善良さも、同じようにむなしいことが多いのだ」と書かれてありました。私のような凡人は”英雄的”というのはまったく縁がありませんが、ちょっと勇気を奮って行動してみる、ぐらいのことは残りの人生やろうではないか、と思ったのです。佐々木兄が喜んでくださったんですから、よかったです。

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